在校生のことば 私のオリジナルの幸せ
2020/11/11 15:42
在校生 朝比奈さん(仮名)より、素敵なメッセージをいただきました。
盛岡ユースセンター(さん?)、10周年おめでとうございます。
僕はもうユースに通って7年目になりますが、20歳を超えた僕のことも漏れずサポートしてくれていることに感謝しかないです。
特別な年に少しでも何か還元できればと、寄稿させてもらいます。
今後ともよろしくお願いします。
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普通。
普通って、なんだろう。
どうして、みんなとおんなじことが出来ないんだろう。
僕はどこで間違ったんだろうか。
なんか、すごい僕のことを激変させた日に戻って、もう一回やり直せばいいんだろうか。
そうすれば、また、「みんなとおんなじ」に……
中学生の時の僕は、「普通。みんなとおんなじ」ということに囚われていました。
大袈裟に言わずとも、それが僕の一番優先しなければいけない課題だと、信じて疑いませんでした。
中学1年生の秋口、「僕なんて消えちゃえばいいのかな。」の一言から、僕の不登校が始まりました。
どんどん開いていく同級生との差。
月曜日から。 夏休み明けから。
学年が変わった初日から……
そのどれもできなくて、「あ、僕って学校に行けない子なんだ」という諦めと、ふに落ちる感覚が同時に来たのは、中学3年の懸けていた夏休み明け。
とうとう行けなかった自分を、やっと、受け入れられたのがその日でした。
高校選びは、迷わず星槎高校(ユースセンター)に決めました。
最初から全日制の高校に行く意思はなく、自分のペースを何より大事にしたいと思ったんです。
光の速さで高校を決めた僕に、逆に周りの大人の方が、「後悔しないだろうか?」と心配してくれていました。
学校の先生が何度も、「全日制じゃなくていいの?」と確認してきましたが、気持ちは変わらなかったです。
中学2年生の時からユースに行き始めて、あそこしか自分の行けるところはないと確信していました。
僕のペースを絶対に否定しないで、できないことではなく、できることを輝きの目で見つめてくれていたユース以外考えられませんでした。
高校3年生になって、1人すごく気になる子が居ました。
その子は絵が上手くて、素直な子です。
「うおー……どうしよう。話しかけたいんだけどなぁ…」 何度も葛藤する僕を、母は苦笑いの瞳で見つめていました。
高3のスクーリングは、単位の関係で1、2年より何回分か早く終わります。
あの子はいつもユースに来ているわけじゃない、今日話しかけないと、もうチャンスはないかもしれない…。
「あのさ、昼飯一緒に食べない?」
勇気を振り絞って、多分震え声。
「あ、いいですよ」
その言葉が聞きたいがために、僕は1年間くらい話しかけようか葛藤しました。
嬉しくて、沢山話しかけてしまいました。迷惑か気にしてる余裕はなかった。
ただ、嬉しかった。
高校を卒業してもユースに行き続けて、その間に他の子ともちょこちょこ喋れるようになりました。
本当に気ぃ遣いで、優しい子たちばかり。多分、優しすぎたんだと思います(そこがとっても素敵です)。
ユースも、友人も、病院の先生も、不登校も。何か一つ欠けていても、今の僕は居ないと思います。
今の僕の幸せの定義は、もう「普通」「みんなとおんなじ」ではありません。
「誰と比較したものでもなく、自分の幸せは自分で作る」
超シンプルだけど、これだけ。
でも、このポリシーを持つようになってから、ずいぶん気持ちが楽になりました。
僕は、小説を書くダンサー。絵描きで、詩人で、歌を作る。
一般的にご立派ねと言われるような、大学進学も就職も自立もしていない。
だけど、それでいいんだ。僕にとっての幸せはこれだった。
不登校の時、そして最近まで、「普通の幸せ」「他人と違うことへの劣等感」がありました。
でも今は、そんなものはどうでもいいと思えています。
「オリジナルの幸せ」の前では、それらは無意味だと確信しているからです。
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不登校になると、本人も周りもたくさん迷うと思います。
それが当たり前だと思います。
だからその時は、誰かに相談して、たくさん考えて、時間がかかっても大丈夫です。
僕も道の途中ですが、一緒に迷いましょう。
そして、僕の迷いにゆっくり待っていてくれた家族、先生方、ユースセンター、ありがとうございます。
これからもユースでたくさんの良い出会いに恵まれたいです。
きっと僕がまだ知らない素晴らしい人たちがユースにいると思うので。
そのきっかけとなるユースセンターが、変わらずいい場所でありますように。
10周年おめでとうございます。
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