「この活動をしないなら、自分は生きる意味がない」
自らの命を何に使うのか。その問いの先で始まったのが、福岡洸太郎が代表を務めるNPO法人結び手の活動です。
NPO法人結び手は、「外部環境が原因で努力できない人をゼロにする」という理念のもと、インドで子どもたちへの教育支援、女性の雇用創出、災害支援などに取り組んでいます。
結び手は寄付として託されたお金の一つひとつに、誰かの意思があると考えています。
今回のバースデードネーションでは、まず5万円を目標に寄付を募ります。
結び手として、これからも現場に向き合い、活動を続けていきます。その歩みに、少しでもお力を貸していただけたら嬉しいです。
【追記:5万円を達成しました】
お力を寄せてくださったみなさん、本当にありがとうございます。
次は、10万円のストレッチゴールに挑戦します。
〜バースデードネーションとは〜
誕生日をきっかけに、自分が応援したい団体や活動への寄付を募る取り組みです。今回いただいた寄付は、すべてNPO法人結び手の活動に使われます。
ストーリー
福岡 洸太郎(ふくおか・こうたろう)
NPO法人結び手 代表理事/社会活動家

1989年10月16日、熊本県生まれ、愛知県育ち。東京大学卒業。大学では思想文化学科に所属し、哲学・宗教・倫理を中心に学ぶ。
大学卒業後、バックパッカーとして世界各地を旅する。2018年にインドへ渡り、貧困や差別、教育格差などの社会課題に向き合う活動を開始。コロナ禍では約1万人への食料支援を実施する一方、個人による支援の限界を痛感し、2022年にNPO法人結び手を設立。
「外部環境が原因で努力できない人をゼロにする」という理念のもと、インドの都市部のスラムや農村地域を中心に、基礎教育、女性の雇用創出、災害支援などに取り組む。
日本でも高校・大学などで講演活動を行い、社会課題や生き方について若い世代に伝えている。
最新の登壇の様子(2026年10月10日)はこちらからご視聴いただけます↓
第18回コモンズ社会起業家フォーラムにて登壇いたしました。
自らの命を、何に使うのか。福岡洸太郎、37歳のバースデードネーション
東京大学で哲学や宗教、倫理を学び、人間とは何か、生きるとはどういうことかを問い続けていた福岡洸太郎。
大学卒業後、バックパックを背負って日本を離れました。その旅には、もう日本には帰らないつもりで出発したという背景がありました。

旅の途中、グアテマラで一人の少女に出会います。
「お医者さんになりたい。でも、ここに生まれたから、もう諦めるしかない」
医者になりたいという夢を持ちながら、生まれた環境によって、その夢を諦めざるを得なかった少女でした。
自ら人生を終わらせようとしていた福岡と、夢を抱きながらも、生まれた環境によって諦めざるを得なかった少女。
一方は、生きることを手放そうとしていた。もう一方は、生きていく中で望んだ道を、選ぶことができなかった。
その後、日本に戻った福岡は、再び社会の中で生き始めます。
2018年、インドへ渡り、現地の社会課題に向き合う活動を始めました。2022年にはNPO法人結び手を設立。現在もインドを拠点に、子どもたちへの教育支援や女性の雇用創出、災害支援に取り組んでいます。
「この活動をしないなら、自分は生きる意味がない」
福岡にとって、結び手の活動は、数ある仕事や人生の選択肢の一つではありません。
自分自身がどう生きるのかという問いと、切り離すことのできないものです。
なぜ、福岡はインドで活動を続けるのか。
なぜ、他者の人生に関わることを、自分自身の生き方として選んできたのか。
37歳の誕生日を機に、その歩みと、今も問い続けていることをたどります。
努力することさえ、許されない人がいる

人は、自分の人生をどこまで自分で選ぶことができるのか。
努力すれば、道は開ける。
その言葉は、努力するための条件がある程度整っている社会では、自然なものとして受け止められるかもしれません。
しかし、世界には、努力したいという意思があっても、その機会すら得られない人々がいます。
学びたくても、学校に通えない。
働きたくても、仕事を得る機会がない。
生まれた場所、家庭の経済状況、性別、社会的な立場。
本人には選ぶことのできない条件によって、人生の可能性が大きく左右される現実があります。
以前、福岡は、インドで出会った一人の男性の話を紹介しました。
彼が外国に行けるようになるまでには、三世代にわたる家族の歩みがあったといいます。
祖父母の世代から続く努力があり、父親の世代で少しずつ状況が変わり、ようやく本人が高等教育を受け、海外で働く機会を手にした。
一人の人間が新しい世界へ踏み出すまでに、三世代という時間を必要とすることがある。
それは、本人の努力だけでは説明できない現実です。
努力する意思があっても、それが結果につながるとは限らない。
そもそも、努力を始めるための機会が与えられていないことさえあります。
「外部環境が原因で努力できない人をゼロにする」
NPO法人結び手が掲げる理念です。
誰かの代わりに人生を生きることはできません。
何を目指し、どんな人生を選ぶのか。それを決めるのは、あくまで本人です。
しかし、生まれた環境によって、その選択肢自体が失われているのであれば、社会の側に変えられることがあるはずです。
努力したいと願う人が、努力することさえ諦めなくていい社会へ。
福岡が向き合っているのは、本人の意思ではどうにもならない環境によって、可能性が閉ざされているという現実です。
2018年、インドへ。知ることと、関わることの違い

急速な経済成長を続ける一方で、貧困や社会的な差別、教育機会の格差など、さまざまな課題を抱えるインド。
福岡が活動してきた都市部のスラムや農村地域には、学校に通うことが当たり前ではない子どもたちがいます。
学校に行くよりも、物乞いをした方がお金になる。
そうした判断が、日々の生活を成り立たせるために必要になる家庭もあります。
子どもが学校に通わないという事実だけを見れば、教育への関心が低いように映るかもしれません。
しかし、そこには家族の生活があり、明日の食事があり、本人や親の努力だけでは変えられない事情があります。
社会課題について知ることと、その渦中にいる人々と関わり続けることは違います。
外から見れば簡単に解決できそうなことでも、現場に入れば、いくつもの事情が複雑に重なっています。
一度食料を届ければ、その日の空腹は満たせるかもしれません。しかし、明日の食事が保証されるわけではありません。
子どもに教材を渡せば、勉強を始めるきっかけにはなるかもしれません。しかし、教える人がいなければ、学び続けることは難しい。
だからこそ福岡は、現場に足を運び、人と出会い、話を聞き、関係を築くことを重視してきました。
一度きりの支援で終わらせるのではなく、その人が暮らす環境そのものに目を向ける。
その積み重ねが、現在の結び手の活動につながっています。

【2019年12月29日の福岡のFacebookでの投稿】
先日、とある貧困地域の寺子屋的なところにブランケットお渡ししてきました
小さなことかと思いますが、彼らが"イマ"勉強に集中するためには大きなことかと思い、いてもたってもいられず日本人の方の支援もいただき、お渡ししてきました。
前向きに頑張りたいのに外部環境のせいで道が閉ざされている人がいなくなる。
そんな世の中への小さな一歩を進めておきました
1万人を支援しても、救えなかった人がいる
2021年、インドで新型コロナウイルスの感染が爆発的に拡大しました。
都市封鎖や経済活動の停滞によって、多くの人が仕事を失い、生活の基盤を奪われました。
今日食べるものがない。医療を受けることができない。
そうした状況に置かれた人々に、福岡は食料や生活に必要な物資を届けました。
支援した人の数は、約1万人にのぼります。

それだけの人に支援を届けても、救えなかった人がいました。
助けを求めている人がいる。
何が必要なのかもわかっている。
それでも、人手が足りない。資金が足りない。時間が足りない。
支援を必要としているすべての人に、手を差し伸べることはできませんでした。
1万人という数字は、支援が届いた人の数であると同時に、その外側にいる人々の存在を考えさせる数字でもありました。
個人がどれだけ動いても、できることには限界があります。
自分が動けなくなれば、支援も止まってしまう。
目の前の困難に対処するだけでなく、必要な支援を継続して届けられる仕組みをつくらなければならない。
そうした経験と問題意識が、NPO法人結び手の設立へとつながっていきました。

「誰も来なかった。でも、Kotaroだけが来てくれた」
洪水の被害を受けた地域を訪れた際、現地の人から伝えられた言葉があります。
「誰も来なかった。でも、Kotaroだけが来てくれた」

感謝の言葉であると同時に、そこには、必要な支援が届いていなかったという現実があります。
災害が起きたとき、被害の大きな場所に、必ずしも十分な支援が届くわけではありません。
支援を求める声があっても、届かないことがあります。
そもそも、声を上げる手段を持たない人もいます。
福岡は、そうした場所にも足を運び、人々の声を聞き、必要な支援を届けてきました。
しかし、福岡一人が来てくれたという事実だけで、この話を終わらせることはできません。
本来、必要な支援が届くかどうかは、特定の誰かと出会えるかどうかに左右されるべきではないはずです。
誰か一人の行動力や善意に依存しなくても、困難に直面した人が取り残されないこと。
結び手が組織として活動する意味も、そこにあります。
善意だけでは、人の人生に関われない

福岡は、社会貢献という言葉を無条件に肯定していません。
困っている人を助けることは、善いことのように思えます。
しかし、その支援は本当に必要だったのか。
支援によって、本人が持っていた力や、自ら状況を変えようとする意思を奪ってはいないか。
目の前の苦しみを取り除くことが、10年後、30年後にも、その人にとってよい結果をもたらすのか。
福岡は、そうした問いを自分自身に向け続けています。
2026年10月、日本に滞在した福岡は、現場を離れてNPOを運営することの難しさについて、文章を綴りました。
その中で、活動そのものは現地のメンバーによって継続できていても、自分が大切にしてきた理念や判断基準を、どのように組織全体で共有し、受け継いでいくのかという課題に向き合っていることが綴られています。
活動が続いていることと、目指している支援が実現できていることは、必ずしも同じではない。
報告書や数字では、現場で起きていることのすべてを把握することはできません。
何が必要なのか。
本人は何を望んでいるのか。
支援を届けたあと、その人の暮らしはどう変わっていくのか。
現場から離れた場所で判断することには、見落としてしまうものがあります。
福岡は、こう綴っています。
「社会貢献、社会にとっていいことをするといった言葉は“絶対的に善さそう”であるという点で相当気をつけて実施しなければいけない」
支援する側が善いことをしたと思っていても、支援を受けた側の人生に、必ずしもよい影響をもたらすとは限りません。
だからこそ、支援を届ける側には、自分の行為が生み出す結果を問い続ける責任があります。
福岡が現場に立つことにこだわるのは、すべてを自分で行いたいからでも、現地の人々を信頼していないからでもありません。
自分の判断が、誰かの人生に影響を与える。
そのことを、遠くから眺めるだけで済ませたくないのだと思います。
「お金に色はある」
福岡の考え方を象徴する、もう一つの言葉があります。
「私はお金に色はあると考えている」
誰かが、自分の生活の中から託してくれた寄付金。
活動の意義を信じ、支援のために使ってほしいと預けてくれたお金。
そこには、金額だけでは測れない意思があります。
寄付金は、単に活動のために使える資金ではありません。
そのお金を使って何をするのか、どのような結果につなげるのかという責任とともに、預かっているものです。
福岡は、寄付金の使い道に関する判断を、簡単に他者へ委ねることはできないと考えています。
それは、組織の中で役割を分担することを否定しているのではなく、託されたお金の使い方に対して、自分自身が負う責任を手放せないということなのでしょう。
そのお金を使って、誰に、どのような機会を届けるのか。
本当に必要とされている支援なのか。
長い時間をかけて、その人の人生にどのような影響を与えるのか。
善意で託されたお金だからこそ、善意だけで使ってはならない。
その姿勢は、福岡が支援と向き合ううえで、大切にしていることの一つです。
インドの子どもたちと、日本の若者たち
福岡の活動は、インドでの教育支援や災害支援だけにとどまりません。
日本では、高校や大学などで講演活動を行い、若者たちに自らの経験を伝えています。

物質的には豊かで、教育を受ける機会も比較的整っている日本。それでも、生きづらさを抱え、自分の人生に希望を見いだせない若者たちがいます。
一方、インドには、学びたい、働きたいという意思がありながら、社会的・経済的な環境によって、その機会を得られない人々がいます。
抱えている問題も、置かれた状況も違います。
それらを同じ問題として語ることはできません。
それでも、自分の人生をどう生きるのかという問いは、どちらにもあります。
福岡は、インドの子どもたちに学ぶ機会を届ける一方、日本の若者たちには、自分自身の歩みや現場で出会った人々の姿を通じて、人生の選択について考えるきっかけを届けています。
社会課題を知ることは、必ずしも全員が現地に赴き、支援活動を始めることを意味しません。
福岡自身、誰もが現地に来て活動すべきだとは考えていません。
それぞれの生活があり、家族があり、大切にしたいものがあります。
だからこそ、自分に何ができるのかを、自分自身で考えることに意味があるのだと思います。
一人の人生に関わり、環境を変えていく
現在、結び手では、子どもたちへの基礎教育を行う「結び手教室」や、女性の雇用創出を目指す「Judaav」などの活動を展開しています。
結び手教室で大切にしているのは、読み書きや計算を教えることだけではありません。

自分で考えること。
自分の意見を持つこと。
他者と関わりながら、自分自身の可能性を広げていくこと。
基礎教育に加え、道徳教育にも取り組むのは、学力だけでは測れない力を育むためでもあります。
また、子どもたちの学びは、教室の中だけで完結するものではありません。
家庭の事情や地域との関係によって、通い続けることが難しくなる場合もあります。
そのため、先生たちは子ども本人だけでなく、家族や地域との関係も築きながら、学びを支えています。
女性の雇用創出も同じです。
一度仕事を提供するだけでなく、働き続けられる環境をつくることが求められます。
いずれも、短期間で成果を測りきれる活動ではありません。
子どもが学び続け、その学びを自分の人生に生かしていくまでには、時間がかかります。
女性が収入を得るようになり、家庭や社会の中で選べることが増えていくまでにも、時間が必要です。

一人ひとりの人生に関わることと、その人を取り巻く環境を変えていくこと。
結び手は、その両方に取り組んでいます。
ただし、活動を広げれば、それだけ多くの人の人生がよくなるとは限りません。
福岡が現場に立ち続けることと、福岡一人がいなくても活動が続く組織をつくること。
目の前の一人を見失わずに、より多くの人に機会を届ける。
結び手は、その両立をあきらめずに、活動を続けています。
37歳。自らの命を使う先を見つけた人間として
「私は自らの命を使う先を見つけられた幸福な人間として」
福岡は自身についてそう語ります。
そして、自らが取り組む活動を「自らの人生のためというわがままな活動」とも表現しています。
福岡は、自分を犠牲にして他者を助けているとは考えていません。
自分自身が生きるために、この活動を選んでいる。
だからといって、その活動が他者の人生に与える影響を、自分の生きがいという言葉で正当化することもできません。
自分が望んで続けている活動だからこそ、結果に責任を持つ。
寄付金という、他者から託されたお金を使っているからこそ、なおさらのこと。
福岡が語る幸福は、何かを成し遂げたという満足だけではないのでしょう。
自分の命を何に使うのか。
その問いに対して、自分なりの答えを持ち、その答えを日々の行動で引き受けていること。
そこに、福岡の現在地があります。

現場には、変えていかなければならない現実があります。
学校に通えない子どもたちがいる。
働く機会を得られない女性たちがいる。
支援を必要としながら、誰にも気づかれずにいる人々がいる。
活動を続けるほど、できていないことも見えてくる。
それでも福岡は、今日もインドの現場に立つことを選び続けています。
自らの命を使う。その先に、誰かの可能性がある。
今回のバースデードネーションでは、結び手の教育活動を継続し、発展させるためのご支援を募ります。
いただいたご寄付は、結び手教室の運営や先生たちへの報酬、教材・学用品の購入など、子どもたちが学び続けられる環境づくりに活用させていただきます。
生まれた環境によって、努力する機会さえ奪われている人がいる。
その現実を、仕方のないこととして受け入れないこと。
そして、本人が望む人生を選べるように、社会の側にある障壁を一つずつ取り除いていくこと。
それは、福岡一人の力で実現できることではありません。
けれど、同じ場所に立ち、同じ活動をすることだけが、関わり方ではないはずです。
自分の暮らしを大切にしながら、遠く離れた場所にいる誰かの可能性を支えることもできます。
寄付は、そのための一つの選択肢です。
努力する機会が、生まれた場所によって決まってしまう社会を、仕方がないと諦めない。
そのための小さな一歩に、少しでも力を貸していただけたら幸いです。
生きていた方が圧倒的にできることが多い
自らの命を何に使うのか、問い続けてきた福岡。時に、生きることさえ手放そうとしながら。
そんな福岡は、自死について「最も人間らしい行為」と表現することがあります。
一方で、「死ぬことは選べる。けれど、生きていた方が圧倒的にできることが多い」とも語ります。
その言葉を、福岡は淡々と口にします。
そして今年も、福岡は誕生日を迎えました。
37歳。福岡洸太郎のこれからを、楽しみにしています。

誕生日当日、活動地の子どもたちや先生たちからお祝いを受けた福岡。



