目次
・「新しい団体を立ち上げる」、というチャレンジ
・忘れられない経験:障害のあるユースの、海外渡航を支援するプロジェクト「Fly Anay!プロジェクト」
・「障害のあるユース」が自分で決めた人生を実現するコミュニティをめざして
・マンスリーサポーター(D-PRiDEメンバー)になっていただけませんか?
・愉快な仲間たちのご紹介
ストーリー
「新しい団体を立ち上げる」というチャレンジ
私は、大学を卒業してから、独立行政法人国際協力機構(JICA)の職員として9年間働きました。その間、フィリピン農村部の障害者団体で、青年海外協力隊として2年間活動をしたことが人生の転機となり、日本でも障害者団体で活動したいと思うようになりました。

フィリピンの仲間たちとの集合写真。20歳で障害者になって落ち込んでいた自分に、「フィリピンのみんなに出会って人生変わるから、大丈夫だよ!」と伝えてあげたいですね。
その後は、東京都にある「自立生活センターSTEPえどがわ」で7年、島根に来てから「自立生活センター松江」で1年半、活動をしていました。どちらのセンターでも、大好きなメンバーのみんなと、障害のある仲間の人生が少しでもよくなるように一生懸命に活動する日々は、とても楽しく、同時にやりがいのあるものでした。DPI日本会議という全国団体に所属して、国連障害者の権利条約での初回対日審査に関わったり、国内の法制度をよくするための活動も、先輩方たちの背中からたくさん学びつつ、一緒にしてきました。日本全国で頑張るみんなとの出会いも、私にとって、かけがえのないつながりとなっています。

STEPえどがわのみんなとは、地域での個別支援、海外研修などを駆け抜けた7年でした。語りつくせぬ、宝物の日々と仲間たち。

自立生活センター松江は、規模は小さくても、地域の重度障害者にとっての「最後の砦」のようでした。代表の中村宏子さん、スタッフのみんなと、同じ島根で今後もいっしょにコラボしていけたらいいな。
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障害当事者として、障害のある人たちの人生がより良いものになるように、そのために社会や制度がよりよいものになるように活動することを、これからもずっと続けていきたいと思っています。
その活動は、これまでどおり、自分が所属する団体で続けることもできました。でも、「自分の総力をだしきっているか?」と自問する時、答えは「ノー」でした。
私の母は、重度障害とともに18年生ききり、2022年の夏に亡くなりました。母を自宅で看取る経験を通じて、「私は全力で生きているかな?」と、自問するようになりました。

2022年夏、母が亡くなった直後、小さな遺影をもって、国連障害者権利条約の初回審査で障害者コミュニティの事務局をつとめるべく、ジュネーブに行きました。いろんなことを考えていました。
私は、敬愛する障害者運動の先輩や仲間たちが「代表」として背負っているものと、「いちメンバー」として過ごしている自分との差を感じてきました。そして、いつか、自分の人生を変えてくれたアジア・アフリカの障害者に恩返しをしたい、と思った時に、団体を立ち上げたり、運営をした経験がなければ、何も伝えられない、と思いました。
私は、学生の時から、役職はいつも「副部長」。「代表」のサポート役が、自分の性格に合っているな、と思っていました。でも、一度だけ、自分が「責任者」となって、立ち上げ・実施したプロジェクトがありました。
忘れられない経験:障害のあるユースの、海外渡航を支援するプロジェクト「Fly Anay! プロジェクト」
2011年。まだ私がJICA沖縄に勤務していた頃、「障害のある人がJICAで働いている」と知って、大学生のMさんが私のことを訪ねてきてくれました。脳性まひの障害があり、常時介助が必要でした。英語が得意で、同級生と同じように短期留学などをしてみたいけれど、「わたしのカラダがこんなだから、ムリですよね・・・」と話したMさん。
私は、ムリじゃないよ、サポートがあればきっとできるよ、と伝えました。そして、青年海外協力隊として沖縄からフィリピンに向かったあと、Mさんがフィリピンに渡航するためのプロジェクトを立ち上げました。現地語で「まずは、飛んでみよう!」という意味の「Fly Anay(フライ アナイ)!」と名付けました。

Mさんは、自分の渡航費用は自分で出す。でも、夢を叶える前提となる「介助者」の旅費までを学生のMさんが負担することは難しい。そのために、約25万円を寄付などで集めることにしました。
応援もありましたが、批判もありました。「障害のある学生がフィリピンにいって、そのあと成果(就職など)があるの?」など、いろいろな批判は、「責任者」である私にすべてふりかかってきました。寄付集めのプレッシャーに加え、そうした批判も一手に受け、20代の私は「あぁ、吐きそう・・・」という日々を送っていました。
でも、そんな苦労、なんでもなかったな、と思えるくらい、Mさんの渡航、フィリピンでの笑顔は、忘れられないものでした。
「いつもの介助者を使うと頼ってしまいそうだから、フィリピンで現地の介助者を雇いたい」といった時の、覚悟を決めた顔。
イロイロ空港でタクシーの客引きに圧倒されながらも、「I will try.」となぜか英語でいい、スーっと電動車いすでタクシー手配に向かっていった時の、Mさんの後ろ姿。
フィリピンの障害のある仲間たちが、私にしてくれたのと同じように、心からMさんの将来を応援し、あたたかく受け入れてくれたこと。

フィリピンで、障害のあるホストファミリーや、同じ脳性まひの女性との出会いなどを通じて、泣き笑いの一週間。最後、地元のラジオ番組に出演してもらった時に、「沖縄で、同じように、海外に行ってみたいと思っている高校生に、「あなたにもできるよ」って伝えたい」と話した時の、Mさんの横顔。

「障害のある私には無理・・・」と思っていたMさんが、フィリピンのみんなから愛情をたっぷり受けて、自信をつけていく姿に、とても心を動かされました。
その後も、沖縄からもうひとり、Fly Anay!第2期生Oさんが渡航。私とOさんの出会いは、Oさんが高校3年生の時。養護学校時代の職業体験で、「自分は国際的なことに興味があるから」と、学校側が用意した作業所等の選択肢ではなく、自ら「JICA沖縄国際センター」でのインターンを志願。その後、大好きな韓国にも1年間留学しましたね。

「責任者」としてのプレッシャーは大きかったけれど、自分で考えて、人と人をつなげて、障害のあるユースの人生に少しでも役立つという経験は、私にとって、忘れられないものとして残っていました。
この時の原体験を忘れないようにー。そんな想いもあって、Disability Prideのホームページ、トップの写真は、Mさんがフィリピン行きの飛行機に乗った時の、笑顔とピースにしました。

「障害のあるユース」が自分で決めた人生を実現するコミュニティをめざして
この「Fly Anay! プロジェクト」の経験が、「障害のあるユース」に焦点を当てた活動をしたいな、と思った「直観的」な反応だと思います。一方、これまで地域での個別支援をする中で、「子ども・ユース時代」からの本人や家族との関わりが、その後の人生にとって、とても大切だなと感じてきた経緯もあります。
次世代を担う「障害のあるユース」と、どんどん出会い、ユース自身が望む人生や社会のあり方を、いっしょに実現していけたらいいなと思っています。
そのために、
①相談支援
②ユースのためのサマーキャンプ(PRiDE CAMP)
③各種イベント
④国際交流・協力
⑤外出支援・訪問介護
⑥講義・コンサルティング
などの事業を考えています。
事業内容については、「これをやる!」と最初から決めず、これから出会うユースたち、関わってくれるみんなのアイデアを聴きながら、形にしていけたらいいなと思っています。
マンスリーサポーター(D-PRiDEメンバー)になっていただけませんか?
ここまで、Disability Pride 立ち上げの経緯を書いてきました。
10月から本格始動する当団体は、非営利型の一般社団法人です。将来的に、障害のあるユースたちに、スタッフとして働いてもらえるだけの収入を得ていきたいなと思っていますが、現状は創業期で収入がないため、軌道にのるまでは赤字経営です。
経費として、例えば事務所の賃料があります。
資金が全くないので、経費削減のために自宅を事務所とするのも一案ではありましたが、出雲市駅前のコワーキングスペース(Izumonomadさん)に一部屋お借りすることを決めました。駅前すぐのガラス張りの明るいスペースに、障害のある出雲市民がウロウロしているのも楽しいかな、いろんな人が利用する場所なので、そこでいろんな出会いがあるといいな、と、未来に投資する覚悟で借りました。2027年1月までは、島根県商工会連合会から助成金をいただき、賃料の半額を支援していただくなど、工夫しながらの運営です。

コワーキングスペース運営担当、People Cloudのアリーナさん。戦争に反対して日本に来たロシアのみなさんが、出雲でウクライナ避難民の支援などをされています。いろいろな国籍の方がいて、いるだけで楽しい場所ですよ。
将来的には、さまざまな方に、ちゃんとしたお給料で楽しく働く場を提供できるようになりたいと思っています。ただ、軌道に乗るまでは様々な形での支援が必要になるため、創業期を共に支えていただけたらとてもうれしく思います。
マンスリーサポーターになってくださった方々には、以下をお届けできたらと思っています
①月刊「Disability Pride 通信」のお届け
ご支援への感謝をこめて、日々の活動を通じて感じたこと、考えたことを中心とした通信を、メンバーの方限定で毎月お送りします。
②「D-PRiDE感謝祭」へのご招待
毎年開催する「D-PRiDE感謝祭」にご招待させていただきます。年間を通しての活動報告と、メンバー間のつながり・出会いの場になればと思います。
愉快な仲間たちのご紹介
Disability Pride、常勤スタッフとしては、私ひとりのスタートとなります。早く一緒に活動してくれる仲間たちを見つけたいな、そのための資金も作っていかないといけないな、と思っているところです。
とはいえ、支えてくれる仲間たちもいます。
設立時理事のおふたり。吉田太郎さんと、盛上真美さん。
吉田さんは、熊本の自立生活センターで長年活動されたあと、出雲に戻って相談支援員として活動されています。障害のある児童・若者の支援もいっぱいされていて、出雲のことをいっぱい教えてくれる、頼れるお兄さんです。

盛上さんは、東京時代に、国際協力などをいつも一緒にやってきた頼れるパートナー。わたしにジュディ・ヒューマンの自伝を翻訳するよう勧めてくれたり、いつも背中を「そっと」ではなく、「ドカン!」と押してくれる、頼れるお姉さんです。

ピースをしている盛上さんと、団体設立を応援して島根行きを見守ってくれたSTEPえどがわ代表の今村さん。
当事者の理事さんがまだいないのですが、それは、あと2~3年内に、島根の当事者ユースたちを理事に迎えて、運営していくことを目標としているためです。
そして、わたしの自薦ヘルパーとして、生活を支えてくれているブラジル人のフラビアさん。10月からは職場介助者として支えてくれる予定です。ずっと介助の仕事がしたかったけれど、日本語能力などを理由に不採用続きだったそうです。採用から半年を期に、ゆっくり話す時間を設けた日、「ワタシ、どうですか・・・?」と不安そうなフラビアさん。「フラビアさんがいてくれるから、私は子どもたちと、行きたいところに自由に行けるようになったよ。ありがとう」とつい涙ぐんで伝えると、「ずっとこの仕事がしたかったです。チャンスをくれて、ありがとう」とフラビアさんも涙を流し、あたかかくハグをした時のことが、とても心に残っています。
地域のお祭りにいくと、「わたしの友だち、子どもに障害があります。会ってください」とブラジル人の親子を紹介してくれたりしたこともありました。出雲はブラジルの方をはじめ外国籍の障害のある方たちもたくさんいるので、海外で活動してきた経験を活かして、少しでもお役に立てたらいいなとも思っています。

「ご縁の国いずも」で、人と人のつながり、出会いを大切にしながら、自分にできることを精一杯やっていければと思います。ご支援、どうぞよろしくお願いいたします。







