月と風と設立経緯③
2020/5/17 23:13
友達がほしいとしょうがいある人に相談された清田。自分の仕事は制度の中だけではないと痛感。
【見つけた原風景】
他の福祉関係者ともつながりを作り、悩みや思いを共有しだします。その中で『しょうがいお持ちの本人さんは、おしゃれやんかっこいいやんかわいいやん』とあまり言われてきてない気がする。というメンバーの言葉。そこでぼくが発案したのが『ヘアカット&ファッションショー』知的身体精神の支援者、当事者総勢50人以上が関わって、助成金とってTVニュースにもなって半年かけて結婚式場としても使うスペースで開催しました。お客さんは100人。
美容師さんがその場でカット&セットして、バリアフリーファッションを身にまといランウェイを歩く。モデルは知的身体精神の方やしょうがいない人もいれた20人。決して無理しない。安心して自分をだしていい場、そしてそのことで周囲が笑顔になる場。が、そこにはありました。
最後にモデル全員が勢ぞろいしたとき、みんな笑っていて。しょうがいの有無や性別職業世代を超えて、ええやんええやんかっこいいやんかわいいやん。と言われてみんな楽しそうにしてる。この光景を縮図として目標に活動していけばいいのだ。と感じました
ぼくの中での原風景がうまれました。
それからは自分の組織の中でも制度以外のことをしよう。と動きだしました。
【医療的ケア】
ぼくが働いてたヘルパー派遣事業所にTというスタッフがいました。Tが近所のデイサービスに研修にいったとき中学でクラスが一緒だったしょうがいあるEくんと出会います。『わーEくんやんかあ!ひさしぶりー!』聞けば中学時代Eくんはいつも体育は見学で。杖をついて歩いていたそうです。
10年後に会ったEくんは、筋力が衰えていく進行性の障害があったらしく、お腹に穴をあけ胃にチューブで直接栄養剤を流し、手足は動かすのが難しく、言葉も難しく、はっきりとした意思疎通が難しい状態でした。しかしスタッフTが声をかけると、眼球がわずかに動く、人差し指がピクッと揺れる。
デイサービスの人が驚きます。『こんなに反応があるの初めてみた』さすがおなちゅうは違います。
しばらくしてそのEさんからヘルパーの依頼がきました。胃に栄養剤を流すのは『医療的ケア』といって当時は看護師さんか親しかやってはいけない行為でした。責任の所在が。というのが理由でした。しかしぼくらは知ってました。例えば認知症の親御さんより、教えてもらえばぼくらの方が医療的ケアはしっかりできるということを。
見ず知らずの看護師さんより、おなちゅうのずっとも(かどうかは分からない)スタッフTに介助してもらった方がEくんもいいに決まってるのに。ここでも制度の変な壁を痛感します。専門性より親和性の方が本人にとっていい場合が多々ある。それを一律に線引きするのはどうなのか。
結果Eさんへのヘルパー派遣は断りました。行政の委託事業だしその組織判断だし。しかしだんだんぼくは自分のNPOを作りたいと思うようになっていきました
そんなある日
『この子のことを知ってくれて大事に思ってくれるなら、看護師さんだけじゃなく、ヘルパーさんにも医療的ケアをやってほしい。この子のために。その上での事故なら私は誰もとがめません』
と言うてはるしょうがいある方の親御さんを知ることになります。
わーなげえ!まだ続きます!
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